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☆ 陵辱…
ちょっと突っ込んでみれば、普通の概念にしても定かではないのだが 例えば、少し前まで、SEXの行為にオモチャを使う事はやはりアブノーマルと言わざるをえなっかった。でも今は? 当然のようにローター バイブどころか、大体のラブホテルには、デンマが置かれている。市民権を得たのだ。少数派が多数派になれば、普通になる。
が、SMという行為はそれだけでは語る事が出来ない様子だ。技術、道具、場所、挙げれば、幾らでも出て来る。何れも重要な要素であると思われるが、SMが、SMたる由縁は その人の心と本能、肉体の在り方ではなかろうか?その行為により、どう満たされ、又、どう引き裂かれるか?
天使と悪魔、表と裏、白と黒(このブログのデザインも)。人間は元々勝手な生き物だ。人の心には その両方が住み着いており、それが人間の本質なのである。
会社では優秀で人の良い夫が、家庭ではDV男であったり、家庭では、良妻賢母の奥様が、平日の昼間 若い営業マンとホテルで戯れていたりするのは、珍らしい光景ではない。
そう、皆んな 心と身体の折り合いを着けている 。勇気と勢いを持って?それを避難する人も避難する という行為で折り合いをつけていたりする(笑)。
一つの行為だけで、その人を語ることは、出来ないものだ。折り合いを着ける事ができなければ? 我慢するしかない。強い心と慣れを持って(人間には慣れる。という特技が備わっているものだ)それも出来ない?では、ダライ・ラマの元に修行に行くか、修道院にでもお入りいただくか?
話しは、かなり横道にそれた様子だが、それを持ってしてもSMという行為の本質には迫れないし、語るのもおこがましい事だ。目の前には、麻縄に縛られ 逃げ場をなくした 若く健康な雌が揺れうごめいている。
ましてやこうゆう光景がめに飛び込んでくれば、
本能に支配され、私は、俺となり 縄を使っている という理性だけが、辛うじて残る。
俺の本能のSEXは、野生的な凌辱だ。以前は、スローSEXとやらも研究してみた。確かに それでないと逝けない女性もいる。その女の子の人生初逝き をスローSEXで奪った事もある。達成感もあった。嬉さもあった。でも何か足りない...
俺のプレイ時間は長い。お気づきの方もおいでかと思うが、その時間に比べ 緊縛数は 少ない。では、その間何をしていりるのか? 本能に支配されているだけ? それは、後ほど...
《 続く...
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